吉祥寺「もか」で珈琲にのめり込んでいくがあくまで趣味の範囲で、いつからお店を意識し始めたのか、つらつら考えると表参道の「大坊珈琲」での一杯の珈琲だった。吉祥寺「もか」が閉店してからしばらく本当に美味しいと思える珈琲に出会えず悶々としていたのだが、大坊珈琲に出会ってそれは解消された。
蒸し暑い夏の日だったか、いつものようにせまい階段を上っていったのだが、その日は仕事でいろいろあって、頭の中にこんがらがって錆びた針金が軋みをあげているように最悪な気分だった。席についてこめかみを押さえながらいつものモカマタリをデミで頼み、大坊さんが一滴一滴ていねいに淹れる所作ををぼーっと眺めているうちに、金継ぎがされた小さな器にそそがれた珈琲が出された。漆黒の色と香りを楽しみひとくち飲むと、すっと痛みが消え、ひとくち飲むごとに錆びた針金はシルクの糸に変わっていった。
名残惜しくも明日も仕事だしと席を立とうとした。神経はふたたび緊張感を高めた。その瞬間、ザバーっと滝のような雨が降り出した。ゲリラ豪雨という言葉が出始めたころ、「しょうがないですよね」と苦笑いしながらつぶやき2杯目を頼む私に寡黙な大坊さんも少し微笑んでくれたような気がした。雨も気を使ってくれたのか。
最後のひと口を惜しむかのように2杯目を飲み終えゲリラ豪雨が去ったころには軋みをあげていた私の頭はシルクの糸の束のように滑らかで艶やかさを取り戻していた。「救われた…」と思った。それからも神経をすり減らすことはあったけど、大坊さんの珈琲はいつも待っていてくれた。
表参道の「大坊珈琲」はなくなったけど、それからも神経をすり減らすようなことがあるたびにあの日の珈琲を思い出した。あれから世の中はますます生きづらくなっている。あの日の自分のようにこんがらがった針金を抱えた人はたくさんいるだろう。そういう人たちがキュウキュウとした時間の流れからふっと離れ、自分を取り戻す場が作れたらなあ、といつのまにか思うようになった。